2022年5月30日、私は淡路島の仕事を終えて、大阪に降り立った。高校生の時から憧れだったTrick Storeという美容室に行くことが何よりの大事な用事だった。ネオンピンクとネオングリーンのブレイズヘア、、これが私の希望。でもピンクのエクステが足りなくて、相談の末、ネオンオレンジを入れることにした。それが大正解だった!とっても可愛くて、エネルギーに溢れて、久しぶりにmonsterな自分になれた。「これが私だ」と強く感じた時だった。

 宮古島、淡路島で合計6か月のホテル客室清掃リゾートバイトを終えた私は、6月1日から、オランダで新生活を始める。この気合いの髪型は全て、オランダでの新生活を最高なものにする為の覚悟だった。パスポートは持ってきていた。実家のある東京に帰ることなく、そのまま5月31日、関西空港よりオランダへと向かった。

 オランダに着いてからの私は、200%のエネルギーで生きていた様に思う。私の爆発的なエネルギーに関しては友人も、知らない人も、驚いていた風だった。正直今思えば、自分が自分でない様な時期だったが、見知らぬ人たちによく声をかけられ、色んな人と良い時間を過ごしたのは、この時だった。色んな人種のおじいさんやおばあさん、若者も、おじさんも、おばさんも、誰とでも仲良くなった。

 ある日、いつものように私が歩いていた時、少し遠くで車に乗っていた白人のおじさんが "Hey, hey!!!" と大声で私を呼び止めた。そうして気づいた私に、「その髪型は何?」と聞いた。私はハハハと笑い、「これが私の普段着なの」と、いつものように答えた。然し彼は続ける。「違う、違う。なぜ、その髪型をしているんだ?それは君の文化のものではないだろう?」
私は、文化の盗用 - cultural appropriation - について、云われていたのだ。空気が変わった。私は笑顔をやめて、キュッと顔を結び、はっきりと申し上げた。

「私は日本人だ。そしてkimonoは日本のものだ。しかしkimonoは今や英語となり、H&MやZARAなどでペラペラのバスローブの様な形で売られている。概して着物とは、ボディラインが出ない様にし外で着ることを目的としている。それでも私は、kimonoという形で大衆に、欧州でも知られる様になったことは嬉しく思うし、それで気分を害することはない。こうしてkimonoとして元の形を超えて新しい形になり、新しい文化となり、色んな人と共有される。それは良いことだと考える。」

気づけば彼は車を降りて、しっかりと私の目を見て話を聞いていた。そして「わかった…Have a good day!」と、片手を挙げてくれた。

 他にも私は、黒人のおじさんたちに「Nice hair!」と声をかけられ、そこで少し話したこともある。その時に、「私のこの髪型はoffending youですか?」と聞いたことがある。
すると彼らは「No!!! 君のそれは、ARTだよ!!!だから素敵だって声をかけたんだ!;)」と言ってくれた。

 多くの人が人種を問わず、褒めてくれた。最も、褒められることだと思っていない場合には、そもそも声を掛けることは少ないだろうが。
色んな人が居るし、色んな考えがある。色んな人に出会い、色んな考えを聞かせていただけたことが嬉しい。
 そして私は、白人のおじさんがセンシティブながらも必要である声を挙げ 届けてくれたこと自体に、そして私の想いをシェアする機会を設けさせてくれたことに、感謝している。